My Cinema Talk World: 2月 2012

作品インデックス

2012/02/23

アウトドア嫌い?

今日は息子が学校行事でプラネタリウムに見学に出かけるという。
朝からワクワク感が伝わってくる。
昨夜は、楽しみで眠れなかったそうだ。
自分にもこんなことがあったのかなぁと遠い昔を思い出してみたり。


ほとんどの子が運動会を楽しみにしていたけれど、私はいつも運動会の朝は憂鬱だった。
運動音痴で走るのがイヤだったし、異常に緊張ハンパない自分は走る前まではドキドキで気が気じゃなかった。
緊張を乗り切る事に精一杯で走る事に気が回らなかった。
ほとんどが練習よりよくない出来ということを記憶している。
それと、お昼に学校の校庭のほこりっぽいところにお弁当を広げて食べる事が何よりも嫌いだった。
なので、キャンプなども苦手で基本的にアウトドアは全般的に避けたい方。
キャンプしたことは数えるくらいしかない….が、アウトドアで一番楽しかったのが会社帰りに同じ部署の男子2人女子2人で真冬の甲子の山奥でテントを張って(もらって)、飯盒でご飯を炊いて(もらって)食べた事。
これは、何か自分が普段にはない状況下に置かれることにワクワクしたのだ。
おそらく12月か1月だったと記憶する。
見た事もないくらいに雪は積もっていた。
トイレももちろんなくて、外。
….なんと野性的なことか^^;
さすがに最初は抵抗はありましたよ、こんな自分でも。
ご飯の後は、熱いコーヒーを煎れて(もらい)おいしくいただいた後、外に出て星を眺めました。
まぁ、これが目的の一つだったのです。
翌日、私たちは服も下着もそのままでまっすぐ職場に向かったのでした。
私以外の男女は、しょっちゅうこういうことをしているらしくて雪山の経験などもあったらしいので山に行くときはくれぐれも注意してくださいね。
そういえば
車で山に行って、車の中に泊まった事もありました。
冬山で星を見た事がありますか?
とにかく言い表せないほど、この上なくきれいです。


20120223

先週からずっとお風呂でホイットニー・ヒューストンの曲ばかり歌って息子に聞かせている。
「ね?似てるでしょ??」
と息子に聞くと
「….んー、多分ね」
と微妙な返事。
一応気を遣ってくれているようだ。

写真は
この前、ハッセル持ってiPhoneアプリの露出計使ってたときに、偶然こんな写真が撮れてたのだ。
面白い!


2012/02/16

2/13放映 福島テレビ「チェルノブイリと福島」

先日、福島テレビで「チェルノブイリと福島」という番組が放映された。
数週間前から番組の宣伝も大々的に放映されていたので県内では観た人も少なくはないと思う。
数十年前に遠い別の国で起こっていた恐ろしい出来事は、あの当時の私はまったくの他人事でありニュースで流される一瞬にその国の状況をぼんやりと頭に描いてみる程度の関心しかなかった。
だいたい、福島に原子力発電所があることすらその時は分からなかった。


ただ、事故の当時に周囲の人から
「雨の日に濡れると頭が禿げるから...」
などと迷信めいた言葉に慄いて、雨の日はかならず傘をさすようになった覚えがうっすらとある….数ヶ月は続いたと思う、その後程なく元通りの生活になったのだが。
さて先日の放送の内容になるが、現在のチェルノブイリの30キロ圏内の様子、チェルノブイリ原発の現在と福島の数十年先の様子を思わず重ね合わせてしまうシーンも多々あり想いも複雑だった。
途中までは観ていた。
しかし、チェルノブイリの子供達の健康被害が語られているくだりになると息子もこの場にいるところでどうなのかと考えてしまい、この番組を観るのをやめてチャンネルを変えてしまった。
先日、息子が言った言葉を思い出したりもしたのだ。

「オレとかクラスのみんなは、20歳になったら死んじゃうだよ。」

「なんで?」
私はドキッとして訊いてみた。
「放射能をあびたからだよ」
と息子。
気になって訊いてみたら同じクラスの女の子が言っていたそうなのだ。
そう口では言っても、息子はそれが恐いといった様子ではなく、むしろしれっと口走っていた。
テレビで毎日のように原発や放射能のことが流されそれを観ていれば子供達の脳内にそれがなんらかの影響を与えるのは当然だろう。
見た目は平然としていても、どんなストレスを与えているか想像だにできない、
騒ぎすぎる故の子供への影響は認知しているつもりだ。
しかしながら、親としては今まだ放射能が生活空間に存在し、放射能が積もった土地で作られた食べ物が流通している間はしっかり子供を守ってやらなければならない。
現在、何年か後にここ福島で起きた原発事故がどのように表れるか誰も知らないのだ。
たとえ、
「あの時、ちょっと騒ぎすぎたよね」
と言われても、今は子供の精神的にストレスをかけないようにしながら守ってやらなければならないと思った。
原発事故からもうすぐ1年になろうとしている。
あの当時から徐々にではあるが事実が表沙汰になってきている今、おそらく次の段階に入ろうとしているのかとも考える。
それは人々がメディアからの情報をどう受け止め、どのように向かうかを決める時期だと思えるのだ。
小さな子供がいれば、健康被害を優先にし避難する人もいる。
またさまざまな理由でこの福島にとどまり生活を続ける人もいる。
とどまる人の中にも、
食べ物に徹底して注意する人とそうではない人
メディアで流される出来事を信じる人とそうでない人と分かれる。
あちこちで「分断」が起きているのだ。
どれもそれぞれの考え方に基づいたチョイスであり他人に同じ事を強いるものではない。

先の番組の話に再びもどり
先日の番組の中でチェルノブイリと福島「似て非なる...」とサブタイトルにあったようにあのときのチェルノブイリと福島の違いをいくつか挙げていた。
まずは放射能の中身のこと。
チェルノブイリはストロンチウムとプルトニウムが多く含まれ、対して福島はこれらの物質は少なくセシウムが中心なのだという。
また、原発から流出した放射能の量はチェルノでは520万テラベクレル、福島は48万テラベクレルだと報じていた。
(この数字が爆発当時の流出量なのか総合しての量なのかは聞き逃したが、総合した数値であれば現在進行形である今、通用はしないだろう。)
また、子供達の健康被害については当時のチェルノブイリの子供達は日常で摂取するヨウ素が著しく少なかったのだと云う。現在の日本の子供達の半分以下の摂取量であったことが、甲状腺がんが増える原因となったのだそうだ。
それと年間被爆量が年間10ミリの内部被爆が数年間続いたとのことで、情報を数年間マスコミ、政府が隠蔽していたことがこの原因であったとも伝えていた。

かなり長くなってしまったが
この番組を観てどう受け止め、どう感じ、どう行動するかも私たち次第となるだろう。


 


2012/02/15

群馬弁と相田みつを


まだ幼さの残るうちのさー坊たん


先日、ダンナさまと息子とTSUTAYAに行って本のコーナーでそれぞれ立ち読みタイム。
息子は、いつものポケモンの本などに見入り、
私も、得意の立ち読みで劇団ひとりの「陰日向に咲く」を読んでおりました。
文字が書いてある本は、ほとんど読まないダンナさまが
めずらしく文字が書いてある本を開いております。
ほんと、珍しい!
「何読んでるの?」
と訊くと
「これ!これみて!!」
と本の、或る一頁を開いて指差します。
見慣れた筆字。


”ー その時がきないと ー”
きないとなっ
ん?
これは??
群馬弁じゃないの?
「きない」とは「来(こ)ない」と書き、
意味はその字のごとくです。
群馬の義父母の会話でよく耳にする言葉です。
あれ?
相田みつをさんって群馬出身なのかな?
その本の最後の方のページに略歴が載っており「栃木県足利市出身」と書かれていました。
なるほどぉ~、隣町みたいなものだわ^^

その後、ネットで相田さんをちょこっと調べたところ、こんな言葉も見つけました。

そのままでいいがな

「...だがな」
是、まさしく群馬弁です!
いやぁ~、いいですね♪
ダンナもなんとなく親近感を憶えたようです。
足利近辺は、上州地方の方言の影響が色濃くでているみたいです。
群馬弁ってちょっと”べらんめぇ”っぽい部分もあっていいんですよね。
土佐弁も好きだけどね。
肝心な自分の故郷、福島弁は未だに好きになれません。
中途半端でアクセントがなくてセンスがない方言です、福島弁。
青森とか秋田のような完全な東北弁でもない、
周囲の地方の影響ばかりの中途半端で
話す人の「意思」が感じられない気がします。

そういえば、群馬出身の星野富弘さんと相田みつをさん
「いま出逢うふたつのいのち 星野富弘・相田みつを」
という本でコラボしているようですね。
星野さんの詩画と相田さんの書が収録されているようです。

   **********************************

今日のYAHOOニュースに載っていた品川庄司の「ブログの4つのルール」という記事を読んでしみじみ、なるほどぉ~と共感しております。

誰の悪口も書かない
愚痴を書かない
楽しかった出来事を書く
人の好きな部分を書く

これってなかなか、できそうでできなかったりするんですね。
ついついグチになってたなんてブログはしょっちゅうです。
少しずつ見習って行きたいです。

注) 当初の記事より文章の修正や加筆をしています。
 

出典
2008年3月4日 私の車ブログ「群馬弁と相田みつを」より

いま出逢うふたつのいのち 星野富弘・相田みつを

2012/02/10

心霊体験…かな

昨日のブログでもチラッと話した
これって、心霊体験なのかなー???
というお話です。
長いので時間のあるときにでも読んでみてくださいませ。

私がいつも買い物をするスーパー。
そこは私が生まれ育った小さな町にあります。
時々、幼なじみに出くわしたり、はたまた妹夫妻に出会ったり。
小学校の頃の同級生をみかけたりすることも少なくありません。
なんといってもホームタウンですから....


そこで買い物をするようになってから、小学校5年、6年と担任だったK先生もよくみかけました。
私の小学校の時分からずっとこの町を離れなかったのでしょうか....
(私が実家から以前勤めていた職場に通っていた頃も、信号待ちでK先生の車と前とか後ろになったことが何度かありました。)
お世話になった時からはかなりの時は流れているので、万が一出くわして顔を突き合わせたとしてもきっと私のことなど覚えてはいないでしょう。
なので、声を掛けたりはせずに遠くから奥様と買い物する姿をこっそり見たりしていました。
(声を掛けるほど社交的な性格でもないのもあります)
やはり白髪がかなり目立って、顔のシワも年齢相応で時の流れを感じずにはいられませんでした。
私の担任だったK先生は20代半ばでまだ教職についたばかりでした。
かなりの長身、180cmはあったでしょう。
マイペースで寡黙で不器用、そして照れ屋という印象。
私は、そんな先生らしからぬK先生がどこか人間的でなんとなしに好感は持っていました。
余談ながら、うちの母は嫌いだったようです。
「若いからいい加減だ」
と常に言っていました。
母は、常に「若い」ということはすべてにおいて未熟だと決めつけてかかっているようでした。

さて、話は現在に戻ります。
そのスーパーで今年の3月頃、
久々にK先生を見かけたのです。
そのときは珍しく奥さんと一緒ではなくて、独りでした。
白髪が印象的だった髪も、黒くて
もしかしたら染めたのかしら?
なんて勝手に想像してました。
いつもより近くで顔が見れる距離でした。
一瞬目が合った気がしたのです。
チラッと先生が私のほうを見た気がしました。
「何か話しかけられたら….」
なんて余計な心配をして目を急いでそらして、下を見て食材を物色するような振りをしてしまいました。
気がつくと先生はその場から移動したようです、すでに姿はありませんでした。
なんとなしに、そのときの先生は髪を染めただけではなく
全体の印象も以前より若返っていた感じがしたのでした。
その話題を、先日一緒に食事をした幼馴じみに話しました。
「3月くらいかな?Kを見たんだよ。そのときはひとりで買い物してたよ。」
と友達に言うと
「え?それって本当にKだったの?!」
とお友達。
私と友達は、K先生をフルネームで呼び捨てにしていました。
「そうだよ、めずらしく奥さんがいなくて...なんだか若返った気がしたんだよね。」(私)
しばらく、間を置いて友達が言いました。
「Kって、確か去年の11月だか12月だったかな...亡くなったんだよ。
新聞で見たし、私の叔父ちゃんが入院してる頃に同じ病院に入院してたって...」
と友達。
どう思い返してもK先生を見たのは今年3月くらいです。
あれは、絶対K先生だ…人違いなどではなかった。
「えー?それってやっぱり心霊体験みたいなもの?」
っと友達。
先生が亡くなった?!
未だに信じられない。
そのときから、頻繁にK先生の夢を見るようになりました。
怖がりで未だに幽霊が怖いという自分なのに、不思議と怖い気持ちがしないのです。

注) 当初の記事より文章の修正や加筆をしています。

出典
2009年7月11日 私の車ブログ「心霊体験????」より

2012/02/08

子供への過剰な想い

2012_02_08:: はじめに
この記事は、過去の車ブログを掲載したものです。
文中に、学童クラブに入所させる前だったために「お役所仕事」などと表現されておりますが実際は、先生方はとてもよく面倒をみてくださいました。
本当に感謝しております。



今週は、長かった....
息子が保育園生活を離れ、小学校の学童クラブに入った。
人によって意見に違いはあるのだが、同じ保育園に通うママさんが
”イジメなどがあるし、見てくれる人たちも所詮お役所仕事....
目を離した隙にケガしていたなんてこともよくあるみたいだからそんな所には大事なわが子は預けられない”
という。
 主人と私は、迷わずクラブに入れることに決めていた。
同じ年代の子供達と接することで、「社会性の基本となるもの」が身につくだろうと考えてそうした決断をしたのだ。
��幼少の頃、実家の母に息子を預けた結果、甘ったれになって失敗したことも理由の一つ)
そうは言っても、いざとなると心配で心配で仕方がない。

自分はかなりずぼらな性分なのだが、異常なほど心配性である。
学童クラブ初日など、仕事が手に付くどころではなかった。
昼休みにクラブに電話を入れて様子を聞いてみようとしたが、やっと思いとどまった。
会社が終わって、速攻でお迎えに行き教室を覗くとみんなと楽しそうに遊んでいる息子の姿が見えた。
知らない子が私に駆け寄り
「○○○とね、ずっとあそんでたよ!」
と既に息子を呼び捨てにしていた。
(関係ないが息子は”よびすて”を”よびすけ”という。)
ホッとして
「ありがとね、明日も遊んでね」
というとニコニコして
「うんっ!」
と元気で素直な返事が返ってきた。
今日など仕事もそこそこに速攻で迎えに行ったというのに(昨日は、最後から二番目のお迎えだったので)
「ねぇ、まま!あしたはもっと遅おむかえにして!!」
と言われてしまった。。。。
少し力が抜けるも...いいことだ!

よきかな、よき哉♪


そうそう....
留守電が入っていて
来週の入学式に息子に代表で六年生から花を受け取る役をやってもらえますか?
だって....
大丈夫なのかな^^;


写真
先日、当たった「INDY JAPAN」のチケットが届いたよ^^



注) 当初の記事より文章の修正や加筆をしています。

出典
2008年4月3日 私の車ブログ「週末がやってくるね。。。。」より

2012/02/05

潜水服は蝶の夢を見る


先日、TVのバラエティ番組のコーナーで紹介されていた一本の映画
(ご存知「王様のブランチ」です!)
一風変わったタイトルは、

潜水服は蝶の夢を見る

ここのところ事あるごとによく泣く自分だが、
久々に号泣してしまった....しかも作品の紹介だけで。
ファッション誌として有名なELLE。
かつてそのELLE誌の編集長をしていたジャン=ドミニク・ボビー氏の自伝小説の映画化である。
40代前半で、ドライブ中に脳血栓に襲われ
そのまま全身不随に陥ってしまった…動くのは左の瞼だけという絶望的状態。
そのような不自由な体を重い「潜水服」に例えたのだ。
実際は、潜水服よりもっと過酷だと思う。
自分で想像してみる、そんな状態になったときの自分を。
精神的重さのほうがおそらく、もっと計り知れないくらいだろう。
こんなことを言ってしまったらボビー氏に失礼になるかもしれないが...
一人の人間として生きる尊厳を一気に失われてしまった状態....
そんな状態の中で瞬きの合図だけで意思を伝えることに光を見出した主人公。
つまり手話を「瞬き」で行うようなものである。
或る知人に「本を出してみないか?」と勧められ
その知人と瞬きによる合図のやりとりだけで一冊の本を完成させる。
この本が今回映画化された「潜水服は蝶の夢を見る」である。

原作に感銘を受けた、「ベティ・ブルー」でも有名な
ジャン=ジャック・ベネックス監督がこの様子を独自にドキュメンタリーとして撮影していたという事実も後から知ったことである。

ぴあのサイトの紹介文に

肉体の自由がなくても、精神の自由は奪われず、
蝶のように自由に記憶し想像し、“生きる”ことはできる。と記されているように
主人公の記憶と想像で紡がれる物語は、
自由奔放に過去、現在を飛び回る。
生きる尊厳を奪われても
くじけても立ち上がり、やはり人間として生きること
自分を懸命に生きる事でそれを確認するのだと改めて実感しました。

残念なことに、全国で上映されるわけではないのですぐには観られないと思うが、
DVD化されたら必ず観たいと思う。
(後日談になるが、DVD観ました…胸が詰まる想いの中、次第に主人公ボビー氏と一体化する自分がいました)
この映画に異常に反応してしまう自分....
過去2度、親戚や親が脳梗塞になったのを目の当たりにした情景が蘇ってきてしまうからだと思う。
私事ながら....
本人はもちろん、周りの人たちの人生が一変してしまう。
半身不随になったら一旦、
今まで生きてきた自分の人生をリセットし、再び出直さなければならない。
過酷である。
昨年、脳腫瘍でこの世を去った従姉妹。
三度の手術の受け、体が不自由になっても頑張って復活してみせると頑張っていた天国の彼女に改めて敬意を表さずにいられない。
もちろん、この映画の主人公であるボビー氏にも。


注) 以前の記事より文章の修正や加筆をしています。

出典
2008年02月11日 私の車ブログ「潜水服は蝶の夢を見る......」より


DVD
潜水服は蝶の夢を見る

参考サイト
チケットぴあ

2012/02/02

指先からソーダ...不器用な人間のコミュニケイトの仕方は

指先からソーダ

今は、最近お気に入りの作家である
山崎ナオコーラさんの
「指先からソーダ」
というエッセイを読んでいる。
作品を読み進めていくうち、文体から彼女の性格がぼんやりと読み取れる。




人間っぽい...
しかし、生き方はどこか不器用そう

相手とコミュニュケイトしたいのになかなか理解してもらえない
モドカシサ
のようなもの

だけど
だけど
彼女は本当に書くのが好きで賢明に相手に
「想い」を伝えようとしている
そんな雰囲気が伝わってくるのだ、この作品は。

生身の人間とのコミニュケイトが苦手な人は、
文章として書くほうが得意な場合が多い気がする。
文章は自分の気持ちを人に伝えるまでワンクッション置くことができ、
書いている間に自分の感情を抑えることができる。
私も、面と向かって相手と話すことはどちらかというと苦手なほうだ。
話そうとすればするほど
感情が先走ってしまい、それをコントロールしなければならなくなるから。
そのコントロールが余計な方向に動いてしまい結局はうまくキモチを伝えられなくなる。
気心が知れていて、相手が心を開いてくれている場合は別。
余計なコントロール、気遣いは不要で
相手がそれをわかってくれているからだ。
そういう相手とは、聞くのが大変だろうと思うほど話を聞いてもらう。
そしてもちろん、相手の話も聞く。

話題がそれてしまった
「指先からソーダ」
の話に戻ろう。
本の帯に

”ナオコーラさんは上手に書こうとしない。
いつでも「本当のこと」を
書こうとしている。
書きあがったそれは
「結論」ではない.......”

とある。
確かに!
どこかで心を開いて話せる友達と繰り広げるとりとめのない会話だ。
そこには結論などは決してないのだ。
面白おかしく笑って、
好き勝手喋るだけ喋って
バイバイ。
なんとなしにそんな気軽さ、爽快さに似ている気がする。

”シロップをこぼした場合の処置法”
というタイトルのエッセイがある。
それを読んだときも、彼女の
男性に感じるキュートな部分
.....ツボとでもいうかな
が自分と少しだけ似ているなと感じた。


さて
また雷です。
雷が鳴ると梅雨が明ける
というけれど
この夏は何度となく雷鳴を聞き、
そのたび
「きっと梅雨明けだね」
を繰り返している自分です。

注) 以前の記事より文章の修正や加筆をしています。
出典
2009/07/27記事 私の車ブログ「指先からソーダ....不器用な人間のコミュニケイトの仕方は」より

原作本
「指先からソーダ」