My Cinema Talk World: 5月 2012

作品インデックス

2012/05/25

快楽を求める思考

手作りカレンダー

昨日は、毎年恒例の家庭訪問だった。
先生に相談することはだいたい決まって同じ事だ。
また、先生から言われる事も概ね同じ…

「授業中など人の話をきいているでしょうか?」(私)

「ゲームのし過ぎで、言ってもいうことをきかないのです」(私)

「視力がかなり落ちてますね」(先生)

昨年までの先生は
「ゲームについてはやることをやっていれば大丈夫じゃないですか?」
といった見解。
今年から担任になった先生は1日のゲーム時間を決めたら何か視覚に訴えるよう表などを作り
「守れた」
「守れなかった」
を残すとよいとのアドバイスを下さった。
確かに、毎日感情的に「やめろ!」と言っても説得力はないだろう。
感情論は聞き入れるにあたいしないことは、理論的でないにしても子供の思考において無意識に妥当な対応をしているということだ、雑音は避けろと…。フィルターをかけて自分がノイズと感知すれば頭に入れさせないようにしているのだ。
息子には、ゲーム時間に対応したカレンダーは作ってみたので今日から実践することにした。

ゲームやテレビに慣らされてくると楽しいとかワクワクするなどの刺激には無条件に反応するが理論的な面倒な事や、じっくり考えるといったことは無意識に撥ね付け避ける思考になってしまうようだ。
ということは努力しながらやり遂げる事に喜びを見いだす事は自然にしなくなっていく恐れがあると思う。
自分もテレビ世代なのでその傾向は大きく、自覚もしている。
しかも、途中からネットという新しい”おもちゃ”も現れた。
親が意識して考えさせたり達成感を得る為に努力する状況を作ってあげることが大事なことを自分の長い間の思考から行動までの傾向を振り返りながら昨日しみじみ実感したりもした。
子育てで自分が見えてくる事は少なくない。


いくつになっても
新たに気づき、過去を振り返り、恥じ入るということは多々あるものだ....

2012/05/20

モーターサイクル・ダイアリーズ



ストーリー

1952年、アルゼンチンのブエノスアイレスに住む医大生エルネストは、友人のアルベルト・グラナードと共に1台のバイク(ポデローサ号)にまたがり、12,000キロの南米大陸縦断旅行へ出かける。途中、南米先住民族(インディオ)や、チリの最下層の鉱山労働者、ペルーのハンセン病患者らとの出会いなど、行く手に巻き起こるさまざまな出来事を通して、南米社会の現実を思い知らされる。
映画のラストに80歳を超えたアルベルト・グラナード本人が少しだけ登場する。また、アルベルト・グラナード自身が『モーターサイクル・ダイアリーズ』の撮影に同行し撮影風景を記録したメイキング・ドキュメンタリーの『トラベリング・ウィズ・ゲバラ』(2004年) もある。
(Wiki より)

キャスト
エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(チェ・ゲバラ) −  ガエル・ガルシア・ベルナル
アルベルト・グラナード −  ロドリゴ・デ・ラ・セルナ
チチナ・フェレイラ −  ミア・マエストロ

スタッフ・映画情報
監督      ウォルター・サレス
脚本      ホセ・リベーラ
製作      マイケル・ノジック、エドガード・テネンバウム、カレン・テンコフ
製作総指揮      ロバート・レッドフォード、ポール・ウェブスター、レベッカ・イェルダム
音楽      グスターボ・サンタオラヤ
撮影      エリック・ゴーティエ
製作会社      Film4 Productions
配給      フォーカス・フィーチャーズ(アメリカ) 日本ヘラルド
公開      2004年5月7日(ブラジル)2004年7月29日(アルゼンチン)2004年8月27日(イギリス)
    2004年9月24日(アメリカ)2004年10月9日(日本)
興行収入      $57,642,814
原題      Diarios de motocicleta



いいなぁ~!これぞ男のロマンだ

これは偉大な革命家の伝記ではない。志しを同じくする若者がしばし併走する旅の話である...
印象的な文言で作品は始まる。
そう、革命家チェ・ゲバラではなく、彼がチェになる前の23歳の医学生だった頃に友人アルベルト・グラナードと一台のおんぼろバイクで南米を北上する過程を描いたロードムービーだ。
距離にして12,000キロ以上にも及びその上手持ちのお金もない無謀ともいえる旅だ。
信じられないがゲバラ著「モーターサイクル南米旅行日記」を元に、また細かい場面描写においては存命中のアルベルトに同行してもらい当時の逸話を聞きとりながら撮影された事実に限りなく近い作品だ。
もともと酷い喘息だったエルネストが道中何度かまるで自分の身体を自ら傷めつけるような行動をとる。
酷い発作に襲われながらもこの旅を無事に終えることができたことは偶然もあるかもしれない、しかし彼の強靭な精神力と意思の強さの成せるわざであることは大きい。
アルベルトも一見、口八丁手八丁の軽い乗りの若者に見えるが、旅を終えることだけでなく大きな夢を目指す情熱はエルネストと同じだ。

マチュピチュに辿り着く2人

途中、映画のタイトルでもあるモーターサイクル(彼らはポデローサ号と名付ける)と長旅で酷使されたため鉄くず一歩手前の状態で別れを告げヒッチハイクしながらの旅になる。
歩きの旅では、旅先での見知らぬ人との距離を近づけるだけではなく自分達が想像だにしなかった真実の南米の現状、人々の社会的不平等を知ることとなる。
炭鉱で出会った貧しい夫婦に「何のために旅をしているの?」と訊かれ思わず言葉に詰まる2人。
やむなく子供を知人に預けながら仕事探しの旅をする夫婦に自分たちの旅を道楽としか受け取ってもらえないだろうという本心があったのだろう。
特にペッシェ博士から紹介されたサンパブロのハンセン病施設では、医療の手伝いをするだけでなく病人の弊害になっている病人への差別や人間を隔てるさまざまな壁を打ち破って行く。
2人にとって施設での経験は医師としての実績だけではなく彼らの生き方を変えるほどの大きなものになる。
殊、エルネストにとってはーー。
エルネストの誕生日とお別れ会でのスピーチ、そして川を挟んで隔離された患者とお祝いするために誰も泳いで渡ったことがない川を渡る場面は後に革命家チェになっていく彼の意志の強さを連想させる印象的なシーンだ。

若い時代にしかなし得ないものがある
そして、若い魂にしか感じ得ないものがある。
エルネストが旅立つ間際、「きみがうらやましいよ」と父親がかけた言葉にこういう本音が込められていると感じた。
また、重い喘息の息子を見送る母親の気持ち…
エルネストを演じるガエル・ガルシア・ベルナルは実際のゲバラに比べ端正な顔立ちだが意思の強さを感じさせるし、何より人懐こい笑顔が魅力的です。
彼の作品で『天国の口、終りの楽園 』も観ているが、こちらもオススメのロードムービーです。(後ほど感想文UPします。)
共演のロドリゴ・デ・ラ・セルナも素晴らしいアルベルトを演じ切っていたが残念ながら彼は他の作品にはあまり出ていないようです。

チェ・ゲバラの“チェ”とはアルゼンチンで使われるスペイン語で「おい」と愛着を込めて呼び掛ける言葉。
50年以上前に故郷南米アルゼンチンを出発しチリ、ペルー、マチュピチュ、サンパブロ、カラカス、....最後にはアメリカ大陸へ渡った青年2人の旅の物語である。

一生に一度、こういう旅に出てみたいものです。
殊エリック・ゴーティエの撮影はすばらしく、ショーン・ペン監督の『イントゥ・ザ・ワイルド (2008)』にも影響を与えることになります。

2012/05/17

サイドウェイ



ロードムービーが観たくて、何か良さげな作品はないかしら…とたどり着いたのが今回観た「サイドウェイ(原題 Sideways)」です。
DVDのパッケージを観ると監督がアレクサンダー・ペイン。
パリ・ジュテーム」の18話目「14区」の監督さんです。
「14区」では中年女性が一人旅でパリを訪れた時の心のうつろいを描いていました。

サイドウェイ出演の俳優は、バージニア・マドセンしか知らなくて本編を見ていると友達のジャック役に見覚えが…。(ちょっとシュワルツェネッガーもどきな顔立ち)
視聴後調べるとスパイダーマン3のサンドマン役の人でした。
(トーマス・ヘイデン・チャーチ:代表作「ジョン・カーター」「スパイダーマン3」「幸せへのキセキ」など)

ストーリーは、一週間後に結婚を控えたジャックと作家志望のバツイチ男マイルスがワイナリー巡りとゴルフ三昧の旅に出る話。
旅の始まりの土曜から翌週日曜(ジャックの結婚式の翌日)までを追っています。
道中は一緒でも目的はバラバラ…作家志望のマイルスはワインヲタクでワインを語る事は天下一品、ジャックはCM専門の二流俳優で考える事は結婚最後にできるだけ多くの女と寝ることばかり。
マイルスは離婚した妻に未練タラタラで彼女との思い出が拭い去れず、凹んで安定剤に頼ってしまう状態。

途中、マイルスの行きつけであるワイン専門の店に立寄り出会った東洋人のステファニーとジャックが意気投合し深い関係に…
同じ店で働くステファニーの友人マヤも交えて4人でワイワイ楽しむ。
ジャックとステファニーはすっかり恋人同士気分になっているものの、ジャックが結婚を控えている事は内緒にしている。
一方マヤはマイルスに特別な想いを寄せているが今一歩踏み出せないマイルス。
マイルスは彼の作品がもしかしたら出版されるかもしれないと期待していたが、旅の途中でその話も消えてなくなってしまう。
結局、ジャックが結婚する事もバレてしまいさんざんなことになるが翌土曜日予定通り結婚式も無事終わる。
式場で会った元妻に新しい夫を紹介されたり、彼女の妊娠を知ったりでマイルスの孤独感は尚更つのる。

軽いのりでコメディタッチなストーリー。
しかしながら、ところどころにステキなセリフがちりばめられていて思わず自分の半生を投影してしまいしんみりさせられました。

「ワインに興味を持ち始めたのは前のダンナと結婚してから….学ぶに従いワインの一生というものを考えるようになった….飲み頃を越えてゆっくり下り坂に入るのも(ワインの)魅力だ」

バージニア・マドセン演じるマヤがマイルスと小説やワインを語っているシーンで、ワインを人の一生に例えたセリフです。
彼女は若い頃から美しくて好きな女優さんだけれど、年齢を経てシワが刻まれた横顔についつい惹き込まれてしまいました。それこそ熟成されたワインと同じですね。
また、マイルスがピノ・ノワール(ぶどうの種類)に一途なまでにこだわる理由を語るシーンとそのセリフ(”地球の太古の味”と表現していた)が沁みます。

そして、男同士の友情が女性と比べて「濃い」というか「重みがある」ことにちょっぴり驚いています。
作品にちなんでワインに例えれば、フルボディといったところでしょうか。
現実に全ての友情がマイルスとジャックのようではないのでしょうけど、とにかく肝心な部分で深いのです。
助けるべきところでは、見捨てないでしっかり面倒をみてあげるのですよね。
たとえ自分がさんざんな目に付き合わされ、しかも人に構っているどころの余裕がなくても...です。

人生について考えた後、エンディングでスッキリした気持ちになれるすばらしい作品でした。


2012/05/16

無題



思考には常に雑音がつきまとう。
雑音によって、本来すべきことを忘れてしまったり考えのブレが生じる。
そんなワケで前進していない割に、肉体的消耗は著しい。
雑音はネガティブな思考だ。
それを少しでも軽減するには…
効率が上がる思考ができていれば、今までもっと納得いく生き方ができたはずだ。
好奇心旺盛で刺激ばかり欲していても何の役にもたたない。

今、余計な思考をしないようにする本を読んでいる。
この手の本に興味が向いている自分がちょっと信じ難い。


ところで、さっきうちの庭でフクロウが鳴く声を聴いた。
心静かにしばらくの間その声に耳をすませていた。

2012/05/11

『ポイズン・ママ』とアダルトチルドレン



今の時代を生き抜くには感性だけでは通用しない。
忍耐力、精神力、適応力が不可欠だ…そしてもちろん健康であることも。
テレビを見、本を読んだりしながらつくづ思う。
今、この時代を背負っている、背負わされている人達がどれだけ大変か、いかに過酷であるかに最近になってようやく気がついた。
かくいう私はその大変な思いを強いられている人たちとは別な世界にうすらぼんやりと生活している。
昨夜ニュースを見ながらそんな風に感じた。

自分がテレビや本などを読み感じたことをきままにつらつら書き連ねるのはさほど大変な作業ではない。
難しいのは自分自身を語ることだ。
感情に流されず、自分自身を第三者の目で眺めることだ。
突然だが、自分の思考が実年齢より10歳、もしくはそれ以上幼いのでは?と思ったことはないでしょうか。
また
私って他の人達とどこか違う、社会生活に馴染めていない、なんだか浮いている存在なの?と感じることないでしょうか。
そう思うことがあった場合、自分と親との関係が幼い頃から今までどんな風だったかを思い出しながらよく考えてみて欲しい。
親…特に母親との関係はどうだったか。
親が子供に自分の思考を押し付け、強要し、親と子供だけの精神的密室に閉じ込め自分の理念をすり込む。
いわば洗脳である。
その理念はあくまでも親が思い込む個人的都合上での理想形であり、現実的に社会生活に通用するものではないのです。
その理想形にはめ込むために子供に家庭におけるさまざまな無意識下での虐待が繰り返されます。
虐待とはいっても一般的に考えられている殴ったりとか性的な虐待とは限りません、精神的な虐待もあります。
子供は親が望む条件に従って褒められようと必死になります。
もし一瞬何かに気付き、それが違うのじゃないかと親に伝えたとしても子供の意見などまったく聞き入れられないし、親が強いた条件が一番正しいものだと洗脳されて育ちます。
それが当の本人…虐待する側からすれば無意識に悪意なしに行なわれるからこそ恐ろしいのだと思います。
無償の愛ではなく、条件付きの愛情を子供に強要していることに全く気づかないのです。
その多くは
“子供はある時期がきたら自分の手元から巣立って行く”
ということを認められない人達です。
子供も子供の人生も自分の手中にあるという思考からきている人がほとんどなのではないでしょうか。
親は自分の子供に無償の愛を注ぎます。
しかし、このように自分の考えを強要する親たちは“無償の愛”が欠落した人たちです。
そういう親に育てられた子供たちが“自分が普通と違う”と感じられるのは親元から抜け出し、自力で生活を始めてからです。
親が作ったルールと実際の社会がどれだけ違うかを理解できるのには数年を要するのではないでしょうか。
そのギャップを少しづつ埋めて行くのにも時間がかかります。
また、こういう環境下で大人になった人達には第二の苦しみというべき、トラウマから発症するパニック障害や鬱といった疾患が待ち受けています。

アダルトチルドレンと呼ばれる人たちの多くはこういった親に育てられ、洗脳され続けた過程を辿っています。
少し前に、女優の小川真由美さんの娘さんが書いた著書を読んだ時、多少形は違ってはいても著者の経験や感情は何か自分の経験とシンクロするのを感じました。
いまだに普通に行動することなのに、臆病になります。
うまくいかないことがまずは頭に浮かびます。
なにか目に見えない得体のしれない概念が壁をつくり、 スムーズに行動できなくなります。
他人との距離感を測るのが苦手で、常に不安感で押し潰されそうになります。
ただ小川真由美さんの娘さんが自分と違うのは早くから親の周りにいる大人たちと関わり、若くして1人で生活する状況があったこと…
とても羨ましく感じました。

時々、我が子に対して自分の親がして来たことと同じ行動をしていないか常に不安感、恐怖感すら付きまといます。
子供を怒った後に、自分の言動とそれに対する子供の反応をチェックします。
我が子には
“親がいないと1人では生きて行けないんだよ”
ということは決して言いたくないし、なんでも自分の力で切り抜ける自信を付けてほしいです。

写真
さっき庭から覗いてた訪問者

2012/05/06

懐かしい映画…



昨日、今日とお天気がかなり不安定。
昨日は妹が連休中に出掛けた新潟のお土産を持ってきてくれてました。
久しぶりに妹がダンナさま(義弟)とお出掛けした時の数年分の写真などを見ながら色々と話しました。
お互い結婚して各々家庭を持つとなかなかこういう時間ってとれないもの…しかも妹はお仕事してるから尚更です。

妹を見送った後は、TSUTAYAのクーポンを使えば旧作DVDが50円で借りられるので、私だけおもいっきり借りまくりました。
帰りにスーパーでお買い物をしてるうちに土砂降られ、買い物終了後しばし雨宿り。
今日も雷雨で親戚のおばさんと電話でしゃべってるうち相手側が停電になったのか、突然電話が切れてしまったのです。
二階の窓から稲妻の写真でも撮ろうと構えてたらお目当ての稲妻は大したことがなくて、雹がバチバチと音をたてて落ちてきたりして。
「なんなんだ、この天気は…」
なんてボヤきつつTwitter眺めてたら茨城の竜巻の凄い写真!
ほんと、なんなんでしょ…今年の天気。

かなり前置きが長引いてしまいました。
今日は悪天候もあり、家に引き篭って1人二階で昨日借りたDVD観てました。
あ、昨夜寝る前は先日ブログに書いた「きみに読む物語」主演のジーナ・ローランズ若かりし頃の(…と言っても50歳くらいなのかな)「グロリア」を見直しました。
監督はジーナ・ローランズの旦那さまでジョン・カサベテス…ニック・カサベテスの父上でもあります。
リュック・ベッソンの大ヒット作「レオン」の原型がこの映画であると云われているだけにストーリーや前半の殺し屋たちがやってくるシーンでのアパートメントの薄暗い廊下の雰囲気などはそれを彷彿とさせるものがあります。
本筋に戻ります…やっぱり子供の時にみた時と今のこの時代に観るのとではかなりタイムラグがあってなんとも話の進行具合がまったりとしてるかな…それに合わせて劇中に流れる音楽もジャズっぽいサックスの音色でちょっと違和感。「レオン」の中のゲイリー・オールドマン的な強烈な悪役がいないというのも起因しているのかも知れない。
とにかく、たまに撃ち合いはあっても息を呑むという感じの緊迫感はありませんでした。
ただ、グロリアと知人のスパニッシュ系の両親に託された少年との関係はまさに 映画「レオン」の中でのレオンとマチルダのそれであり、2人の感情の変化と共にラストに繋がるあたりはじーんとさせられました。
エンディングは「レオン」がとてもやるせない雰囲気で終わるのですが…「グロリア」はちょい違います。
「レオン」はエンディングの「Shape of my hearts」がストーリーの切なさとあいまって涙を誘いますね。
ゲイリー・オールドマンがこの上ない最高の悪役を演じていてこちらも一見の価値ありです、ほんと。

余談ですが、喫煙する女性ってイマイチ好きになれないのですが、ジーナ・ローランズのようなカッコいいオトナの女性なら許せちゃいます…とはいえヒトが吸う煙草の煙は耐え難く迷惑ですが。
今日観た「モーツァルトとクジラ」という作品の感想を書くはずでしたが、こちらは別途また明日の記事にします。
(つきましてブログのタイトルも当初と変えております。あしからず…)

2012/05/03

雨の伊香保と母の味


伊香保2012

ここのところ久しく行っていない伊香保に1泊で出かけてきました。
何年ぶりだろう…
息子がまだ保育園の頃かな、いや、それよりも前かも。
それすらも記憶にないのです、残念ながら。
群馬にはちょくちょく出向いていて碓氷峠方面に行ったり、別なときにはめいめいの車で日光を通って沼田を抜けて桐生まで行き、翌日また逆行して日光に行くという…しかもGW中で渋滞にハマったりで正味12時間も車を運転し続けるという出来事もあったっけ。
連休前半はよい天気に恵まれ大量にお洗濯したり家族で自転車で走ったりと楽しかったのだがメインイベントの伊香保行きの段になって曇りから本格的に雨(涙)
結局、到着してすぐに伊香保の石段まで散歩しただけ。
酷い雨の中歩き回る意欲もさすがになかったのです。
パワースポットとして榛名神社の名前が知られているようだが、今回は榛名に登る事もなく旅館に一泊して帰りは水上をすーっと抜けて前橋もさっと素早く通り過ぎ桐生の実家に寄り道というあっさりしたルート。
実家に到着する前にランチタイムでお安く食事を済ませていたのでせっかくのソースかつ丼もお土産で持ち帰った。
今回もお義母さんの手料理を持たせていただき帰宅して美味しく食しました。
もちろん、お義母さんの手料理はおいしくて家族全員好きです
が…特にだんなさまが嬉しそうです。
やはり男性にとって「母の味」というのは格別なものらしいのです。
味わいながら、故郷のことや幼い頃の思い出が蘇ってくるのかな。
この近辺を車で走っていて道すがら「おふくろの味」云々とかの看板を目にすると
「ここの店、美味いのかな」
...うちのだんなさまはことのほか気になるらしいのです。
一度、釣りの帰りにその当時いつも気になっていた
「母ちゃんの味の○○」
というお店にふらっと立ち寄ったらしく
「あの店に寄ってみたんだけど、所詮他人(ひと)んちのかあちゃんの味だったよ」
と心なしか肩を落としていたこともありました。
以前、勤めていた会社のある男性は
「正月はやっぱり実家帰って、かあちゃんの手料理食べてのんびりしたいんだよね」
と言っていたのを聞いて、そんなものなのかなぁと思ったりしました。
私自身は、それほど母の味の記憶ってないのです。
うちの母も決して、料理を作らないひとではなかったのです。
しかし、不思議に
「母の味がなつかしい」
とか
「母の手料理を食べたい」
などとは思った事はありません。
母親に料理を習ったこともないし。

友達と野山を駆け回って遊んだことなどは懐かしくて大切にしまっておきたい、
一方で
家族との思い出は避けて通りたいです、どちらかといえば。
だんなさまと比べると「人間味に欠ける」のかしら、わたくし。


写真は、伊香保の石段です。(いわずもがなですね...)