My Cinema Talk World: 9月 2013

作品インデックス

2013/09/30

CANDY (2006年 ヒースレジャー主演作)



なんとも不思議な映画。
若くて美しい二人がドラッグに溺れていき、転落していく悲惨なお話。
(ダンは、キャンディと出会う前からドラッグに浸かっていたらしい)
若い二人が次第に、堕落していく。


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キャンディ(原題: Candy)

監督:ニール・アームフィールド / 製作年:2006年


物語の暗さとかより、ただただダン(ヒース・レジャー)とキャンディ(アビー・コーニッシュ)が美しかった。
そんな彼らの生活が一変、身体はヤクなしではいられず生活もどんどん堕ちて行く。
お金が尽きるとキャンディに売春させたり、果てには他人のカードを盗んだり。
途中薬を断つ努力もするけれど、結局は現実から逃げるためにやめられない。
こうなったのは、一体誰のせいなのか ――
若者に薬を教えたであろうキャスパー(ジェフリー・ラッシュ)のせいなのか?
考えるのだけれど、きっと答えは見つからないでしょう。

あらすじ
詩人志望の青年ダン(ヒース・レジャー)と画家の卵キャンディ(アビー・コーニッシュ)はお互い強く惹かれ愛し合っていた。。ダンは時々キャスパー(ジェフリー・ラッシュ)の家に行きヘロイン、時にはお金を工面してもらっていた。やがてキャンディも危険なドラッグの世界に足を踏み入れてしまう。2人はドラッグを手に入れるためお金になりそうな物を売り払い、売るものも尽きるとキャンディは街で体を売るようになる。


【作品情報】監督      ニール・アームフィールド
脚本      ニール・アームフィールド、ルーク・デイヴィス
原作      ルーク・デイヴィス
製作      マーガレット・フィンク、エミール・シャーマン

出演  ダン:ヒース・レジャー
    キャンディ:アビー・コーニッシュ
    キャスパー:ジェフリー・ラッシュ
    ワイアット氏(キャンディの父):トニー・マーティン
    ワイアット夫人(キャンディの母):ノニ・ハズルハースト
公開      ドイツ 2006年2月15日、オーストラリア 2006年5月25日、日本 2007年9月22日
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本作は、
1.天国、2.地上、3.地獄
と3つの章に別れていてまさにその通りにお話は進んで行きます。
ヒース・レジャーとアビー・コーニッシュの演技力は「すごい」「素晴らしい」とかそんな月並みな表現では言い表せないです。
脇役のジェフリー・ラッシュとキャンディの父親を演じた俳優さんもいいですね。
特にジェフリー・ラッシュが言うセリフ
「(薬を)やめられる時はやめたくない、やめたいと思った時はやめられない」
とても真に迫っていて、納得させられました…まさに本当のことですから。
寡黙で理解力のあるキャンディの父親が最後にダンに言ったセリフが観ている側にもつきささります。
何度もしつこいですが
アビー・コーニッシュが実に美しくすぎて...それだけでもこの映画の見所と言えてしまう。
横顔が特に完璧、非の打ち所がないです。
おそらく、この作品のときが美しさの絶頂期だったと勝手ながら感じました、何度も言ってるけど本当に美しすぎます、アビーちゃん。

一番始めに私が「不思議な映画」と言ったのは、絶望的で悲惨な重い内容なのに作品全体に透明感が漂っているからです。
プールのシーンとキャンディがあまりに美しいからなのでしょうか。
後半のワンシーンで壁いちめんにキャンディが書いた(描いた?)詩が凄く響いて、彼女の心の叫びが聞こえてきました。
その詩を読むキャンディの声も切なくて ―― これ、もう一度聴きたい!
って思ってたらエンドロールでもう一度流れた時はなんだかジーンときました。



男は ―― と言うか人間は、優しいだけではダメなんだなーって実感しました。
そうそう気づけば監督さんも俳優陣もみんなオーストラリア人なんですよね。
キャンディというタイトル、ここでは女の子の名前ですが、薬の(ドラッグ)暗喩です。

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2013/09/28

Cinema music No.1 “Dumb and Dumber”

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Dumb and Dumber
このタイトルでピンとくる方はジム・キャリー好き!
お…っと
今まで映画の感想文や本の感想文を綴っていましたが、結構ヲタクっぽく音楽を聴いていたりしたのでせっかくですから映画音楽ネタも気分転換程度に書いてみようと思い立ちました。




観る映画も旧いものが多いので...というか結婚してから映画館からすっかり足が遠のいてしまっています。
独身時代は趣味にいくらでも心血を注げましたが、今はそうもいきません。
劇場公開から数ヶ月経てば、DVDでゆっくり観られるという楽でお金のかからない方向を選んでしまいますね。
レンタルで観て、いいものは購入してしまうので結局お金がかかるというワケの分からないことしていますが。。。
でも、私のような人間が増えるとどんどん映画館がなくなってしまうという寂しい風潮を生んでしまうのでこれからできるだけ映画館にも足を運ぼうと思っています。
前置きが長くなりました。

さて、今回紹介する曲は「ジム・キャリーはMr.ダマー」というかなり昔の映画の挿入歌です。
この作品もよく思い返せば、私の好きなロードムービーのジャンルに入るのですよね。
ついつい忘れがちになるのだけれど...ドラマチックな内容ではないからですね、きっと。
映画で流れていた”Where I Find My Heaven”がかなり気に入りました。
Gigolo Auntsというバンドだとを知ってFlippin' Outというアルバムだけ購入して聴いたという浅い知識です^^;
Flippin' Outはギターがフューチャーされていて、キュンとくるようなメロディアスなチューンは結構自分のツボでしたね。
1993年にUKで発売されたこのアルバムですが、1994年にはWhere I Find My HeavenがUKでもシングルチャートの上位にチャートインしました。
アメリカ受けするっぽい曲ですものね。




Mr.ダマーの映画の内容について、一応ちょっと説明した方がいいかな...
いや、あらすじとか見所は別な機会にしよう…今回は音楽のコーナーなので。
かなり笑えて、何も考えなく観れる映画でオススメです。
ストレスがたまってて余計な事は何も考えないでゲラゲラ笑いたい時に観るとよいかもです。
多分、ジム・キャリーのエースベンチュラーから派生した企画なのかもね。
監督は「メリーに首ったけ」や「ふたりの男とひとりの女」のファレリー兄弟です。
ジム・キャリーが演じたロイドがヤバいくらいパラノイアっぽくて、下手すればストーカーですね。
それに付き合う親友のハリー(ジェフ・ダニエルズ)も信じられませんけど。
劇中にロイドが旅に出る為小銭が必要だと全盲の子供に首がもげてしまったインコをテープで補修して売りつけるという場面がありましたが、かなり批判されたんじゃないかと思います。

件のシーンもついで。。。



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2013/09/25

ぼくのエリ 200歳の少女

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今、巷ではニール・ジョーダン監督久々のヴァンパイア映画ビザンチウムが公開されています。
巷…巷?巷ってどこ!?
私が居住する南東北地域、近隣地域の映画館ではビザンチウム上映されてないし。
宇都宮も確か、もうすぐ終わっちゃうみたいだし…先週末から始まったばかりなのに。
何なんですか、腹立たしいっ!
そうは言えども、それだけあなたは劇場に行ってるんですか?(第三者目線!)
って言われたら、実のところ行ってないんですよ、私は。
でも、インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアから何年待ってたことか…。
この映画だったら、私劇場行きますよ、マジで。
まー、怒ってもムダなので余計な感情を書き連ねるのはここまでにしときます。
ふぅーっ!
時に
ニール・ジョーダン監督作品のインタビュー・ウィズ・ヴァンパイアは大好きな吸血鬼映画の中の1本です。

2日前くらいかな、Twitterで“お気に入りのヴァンパイア映画”を数本挙げたんだけれど、そのベストいくつかの中の1本に
「ぼくのエリ 200歳の少女(原題 Let the Right One In)
を入れました。
この作品にとても惹かれます….私的には、「インタビュー・ウィズ…」のルイとクローディアがヴァンパイアとして何世紀も生き続けなければならない哀しみ・苦悩の部分に通じるものがあるから好きなんですね、「ぼくのエリ」は。

少しネタバレ含みます...ご注意を。


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あらすじ
ストックホルム郊外に住む12歳のオカルト好き少年オスカーは、内気で友達が居ない、いじめられっ子である。ある日、彼の家の隣にエリという名の同い年の女の子が引っ越してくる。学校に通わず、昼間は外出もしないミステリアスなエリにオスカーは恋心を抱くようになった。同じころ、町では失踪・殺人事件が相次いで発生。やがてオスカーはエリの正体が不老不死のヴァンパイアであり、一連の事件の犯人であることを知る。
(
Wikipediaより 抜粋)


作品データ
原題:スウェーデン語: Låt den rätte komma in、英語: Let the Right One In
公開:2008年 スウェーデン公開
出演:カーレ・ヘーデブラント、リーナ・レアンデション、ペール・ラグナル、ヘンリック・ダール 、カーリン・ベリ
監督:トーマス・アルフレッドソン
脚本:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
製作:ヨン・ノードリング、カール・モリンデル



「ぼくのエリ」は12歳のヴァンパイア、エリ(リーナ・レアンデション)と人間の少年オスカー(カーレ・ヘーデブラント)が出会い、さまざまな出来事を経てお互いを受け入れ、認め合いながら果てしない旅へ出発する姿を描いた作品です。
舞台はスウェーデン。時代はブレジネフ書記長がニュースで流れているので1970年代だと思います。
最近の作品だと「ドラゴン・タトゥの女」がスウェーデンが舞台でした…雪とメタルグレーの空そこにヴァンパイアには不可欠な夜の闇、そんな風景が静寂さを際立たせております。
雪の中に透き通るような白い肌にブロンドの髪の美しい少年オスカーがまるで妖精のようなのですよね。
まさにヴァンパイア映画に不可欠な中性的、そして耽美的なエロティシズム満載のシーンがちりばめられています。
血なまぐさい部分も多々ありますが、オスカーとエリの透明感、そして余分なセリフを削った淡々とした映像で浄化されているようです。
そしてヴァンパイア=耽美的=同性愛。
まさに映画の中には所々にその気配が漂っているんです。
エリが人血を味わった後の血まみれの口でオスカーくんと唇を重ねるシーンもゾッとするほど美しい!

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もう、公開されてからだいぶ経ってメジャーになっているし、この問題点はすでに広まっている様子なので書いてしまいますね。
エリの下半身が映るときのボカシ、あれはやっちゃダメです!
内容が変わっちゃうのです、アレを見せるか見せないかで。
エリは、何度か自分の口からオスカーに対して「私は女の子じゃないから」って公言してますね。
一方、オスカーも周りの男の子たちに比べても普通の少年には見えない、(まるで堕天使のよう)彼の父親も“そちらのけ”があるような描かれ方をしていたので、遺伝なのかもしれません。
もしかしたらエリはそういうタイプの人間を自分の「連れ人(つれびと)」として選んでいるのかもしれない。
とすると、エリとともに町にやってきた老人もそうだったのでしょうね。
エリに見入られた当時その老人は、おそらくオスカーのような美しい少年だったのでしょう…10年、20年、30年と月日が流れても彼女は常に12歳のままなのに連れ人はどんどん年老いて行き「狩り」をするのもおぼつかなくなってくる。ヘマが多くなり役立たずになれば、自らの命を絶ち自分の血をエリに差し出すしか手段はなくなります。
ラスト近くのプールサイドでオスカーとエリが見つめ合う時の表情、目の美しさ。
そして最後の電車のシーン。
新たな出発、旅の始まり…
エリにとって何世紀も繰り返されて来た、そしてこれからも繰り返されていく終わりのない旅と考えてしまうと悲劇的なんですよね、このループは。
出会い、旅立ち、出会い、旅立ち...そしてまた....の繰り返し。
「連れ人」の手で、果てしない旅の物語を終わらせることも可能だと思うのです。
でも、エリが選んだ男たちはそれをすることはなかった、ここに監督がモリッシーの曲から頂いたという原題の「Let the Right One In」にこめられているものが1つの意味だけではないのかなって思うんです。
「ぼくのエリ」はアメリカでもリメイクされました、クロエ・グレーズ・モレッツ主演の「モールス」です。
こちらの作品は、セリフなども忠実に表現されているものの全く別もの、性質が違う作品に仕上がっています。
原作が持つ繊細さ、悲しさは半減しています。
クロエのヴァンパイアに豹変した姿を売りにしているためか、エリの中性的な部分もなくなっていますね。
(モールスでは、アビーという役名になっています。時代は1980年代に置き換えられています)
何世紀も生き続けて精神的には年老いたであろうあの目で語る演技は、スウェーデン版のエリの表情には負けているかも。
それにしても
そもそも邦題が、おかしいと思います…200歳だなんて全く出てこないですから。
タイトルはさておき、
この映画はヴァンパイア映画の王道的作品であり、傑作といえるでしょう。

最後に「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」のニール・ジョーダンに話が戻りますが「クライング・ゲーム」も名作です!

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2013/09/22

ポゼッション


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ポゼッション、レンタルしてきて見倒しました。
今年春くらいかな...公開前のオフィシャル・トレイラーをダンナさまに見せたら「面白そうぢゃん!」ってカンジで私と相反する嗜好の持ち主なのにめずらしく反応がよかったのです。
スプラッターやオカルト、ホラー好きな上、私が「サム・ライミ監督だよ。」って言ったから余計にそうだったのかもしれないけど。
でも、正式にはサム・ライミは監督ではなく製作でした。

先日もダンナさまが
「前に教えてくれた、女の子が木箱を手に入れる映画何てタイトルだったっけ?」
なんて私に訊いてきたんだけれど、すっかりタイトルなんて忘れてました。
たまたまレンタルショップの新譜のコーナーでケースの写真に惹かれてあらすじを読んだところ「ビンゴ!」でした。

概要はガレッジセールで古びた木箱を手に入れた女の子に悪霊が取り憑いたお話で、古典的な”悪魔憑き&悪魔祓い”のオカルトものです。
こういった類いの映画は

ドキドキ、ハラハラ、ゾッー、ウワーッ、キャーッ

でどれだけ楽しめるかだと思うのです。
なのでひと言
...大変面白かったです!

サム・ライミっぽいとかどうとか余計なセリフ抜きで「スペル」も面白かったけどこっちもよかったですね。
よかったなんて言っても、私、実はこういう恐い作品はとても苦手...それでも観たくなると観てるんですが。
劇場では絶対観られないのです。


あらすじ
妻と離婚したクライドは、週末に二人の愛娘と過ごすことを楽しみにしていた。しかしある日、次女のエミリーがガレージセールでアンティークの木箱を購入したことで事態は急変する。それ以来、彼女は徐々に暴力的な性格になっていき、ついには常軌を逸した行動を取るようにまでなってしまう。これに危機感を抱いたクライドは、原因はあの木箱にあると突き止め、ついに木箱に隠された恐ろしい秘密を知る。

(
Wikipediaより引用)


作品データ

原題:The Possession

公開:2012年 アメリカ公開

出演:ジェフリー・ディーン・モーガン、キーラ・セジウィック、ナターシャ・カリス、マディソン・ダヴェンポート、マティスヤフ

監督:オーレ・ボールネダル

脚本:ジュリエット・スノードン、スタイルズ・ホワイト

製作:サム・ライミ



エミリーの表情の豹変のしようが凄い、体当たりの演技と言えますね!
ルックスがリンダ・ブレアを彷彿させます。(エミリー役のナターシャ・カリス素晴らしい!拍手!!)
それ以外にも口から大量の蛾が入り込んだり、喉から手が出たり、風が吹いて歯がボロボロと抜け落ちたり見どころ満載です。
両親が離婚した寂しい想いをしている幼気(いたいけ)な女の子の孤独な心と悪魔の魂がシンクロしたというか、箱に入った魂に呼び寄せられたともいえるかな。
あんな古びたデカいただの箱に興味ないんじゃない?普通あの年代の子なら。

肝心な悪霊の姿はちょっといただけなかったな、ビジュアル的に...

恐さが少し引いた気がしました。

口の中におぞおぞと何かうごめいたり...

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2013/09/15

世界でひとつのプレイブック

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かなーり遅れましたが、「世界でひとつのプレイブック」をDVDにて鑑賞しました。

観たい観たいと思いつつも、古い作品を引っぱりだして観たりとかしてたら今になってしまいました。


あらすじ
妻の浮気が原因で心のバランスを崩したパット(ブラッドリー・クーパー)は、家も仕事も妻も、すべてを失くしてしまう。
今は実家で両親と暮らしながら、社会復帰を目指してリハビリ中だ。
何とか妻とヨリを戻したいパットは、彼女の理想の夫になろうと努力するが、妻は接近禁止命令を解いてくれない。
そんな時出会ったのが、近所に住むティファニー(ジェニファー・ローレンス)。愛らしい姿からは想像もつかない、過激な発言と突飛な行動を繰り返す彼女に、振り回されるパット。
実は彼女も事故で夫を亡くし、心に傷を抱えていた。
ティファニーは立ち直るためにダンスコンテストへの出場を決意、パットを強引にパートナーに任命する。
人生の希望の光を取り戻すための、ふたりの挑戦が始まった---!
「世界でひとつのプレイブック」HPより引用)

作品データ
原題:Silver Linings Playbook
公開:2012年 アメリカ公開
出演:ブラッドリー・クーパー、ジェニファー・ローレンス、ロバート・デ・ニーロ、ジャッキー・ウィーヴァー、クリス・タッカー
監督・脚本:デヴィッド・O・ラッセル




パットとティファニーが抱える病とその裏事情


パットは母親が自宅に連れ帰るまでは、鬱病患者の施設で薬で治療しつつよくなれば社会復帰を待っている状況でした。
パットのこれまでは
妻に浮気され鬱病になる→抗鬱薬を服用→回復が見られるどころか太りだし、精神的にも収束が見られない状況→施設
こういった流れ。
ティファニーも夫との結婚生活がうまく行かない中、夫が不慮の事故で死亡してしまいショックで鬱病になってしまいます。
薬を服用していたが回復せず病気が災いして周囲と問題を起していました。
今や世の中に鬱病やその他の「心の病」と呼ばれる疾患で問題を抱える人は少なくないでしょう。
アメリカでは近年、有名人が抗鬱薬、安定剤の過剰摂取で命を落としている例もあります。ストーリーとは離れる気はするが、鬱病などの疾患にかかると必ず処方される「薬」に問題を孕んではいないだろうか。
薬は病気の症状を緩和するものであるが必ず副作用という落とし穴があり、また抗鬱薬などは長く服用していればなかなかやめられないという恐い側面もある。
誰でも、映画の中のパット、ティファニーの状況になり得るわけなのです。
薬に頼らないで病気を治す治療方法を考えてほしいものです。
やみくもに薬を投与するだけの治療が変わって行けばいいですね。
映画の中では、初対面のパットとティファニーが唯一共通の話題である薬の話で盛り上がってたのが面白かったですが。
そういうわけで
コメディ&ラブストーリーなこの作品で、こんな影の部分も垣間見えてしまったのです。

パット&ティファニーを観て思い浮かんだあの映画


まず思い浮かんだのが「モーツァルトとくじら」(ジョシュ・ハートネット主演)という作品。
こちらは、鬱病ではなくアスペルガーのカップルでしたが、お互い主張はするけれど相手の言っている事を受け止められない、本当はお互い想っているのに自分を過剰に主張する部分が似ていると思いました。
病気のせいなのか、もともとの性格なのかパットもティファニーも他人に対して異常なほど厳しすぎる気がしますね。
人一倍繊細で(作品の中でも言っていました)細かいことにこだわりを持つ生真面目な性格もこの病の要因になるのかもしれません。

ソックリな父子


パットの父親(ロバート・デニーロ)も、少し変わった人で「ステーキの店を始める」といいながら、パットに「資金はどうするの?」と突っ込まれると「それは何とかなるさ」みたいな。。。よくキレるところは性格が父子ソックリ!
ノミ屋で生計をたてているような人ですから...とにかく違います、普通と言われる人種とは。
そんな父親が、息子の奇行に驚きつつ、病気を克服しようと努力する姿を目の当たりにして「あまり構ってあげられなかった」と気がつき息子の病気が少しでもよくなるようにとジミに協力するところが胸を打たれました。
結局、最後は賭け事・お金儲けになってしまうけれど、パットとティファニーをみんなで応援するところや家訓の「より高く」をみんなで実現しようと努力してる姿が月並みな表現だけど感動しました。


Shall we dance? な展開


ティファニーがダンスコンクールを目指していることもあり、いやいやながら付き合わされるハメになるパット。
目標は元妻の「好みになる」ことだったけれど、ダンスがパットの病に効いたのかそれともティファニーの胸元にくぎづけになったのか(冗談です^^;)おバカな目標は忘れ去られたパットさん、本当によかったです。
ダンスの練習のシーンを観てると、かなり古いですが「ダーティ・ダンシング」のワンシーンを思い出したりしました。
「うわっ、ありがちだわー」と思いながらも、嫌いじゃないですね。
ダンスの練習で心が揺れ動いて…という展開。
(ラストはだいたい予想がつくんだけれど)
とにかく、ラストが月並みとかはどうでもよくて、薬で治すよりも苦しい道を選び努力する2人に安堵しまして最後は自然と泣けてきました。
ティファニー役のジェニファー・ローレンスの表情とか声がなんとなくレネー・ゼルウィガーを彷彿とさせる自然体というか”弾ける魅力”がありました...^^;

【 原題  Silver Linings Playbook 】
最後に...
世界でひとつのプレイブック…というタイトル。
んー、なんだかワケがわからないのですが原題が「Silver Linings Playbook」なんですね。
“Silver Linings”は「よい兆し」でプレイブックは計画とか脚本だから、最後にはよい方向に傾いたティファニーが企てた計画のことなのかなーって、解釈しました。
ブラッドリー・クーパーがやっぱりカッコいいですね♡

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2013/09/13

マルホランド・ドライブ 前回の続き

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すっかり途中になってしまいました…

解釈として記すならもっと丁寧に…夢の中の登場人物などの意味合いなどもっと仔細に説明するのもいいと思いましたがそれは別な機会にいたします。
なぜならば、何回か映画を見直してみると「あれ?ここはもしかして考えていた意味合いと違ってくるのでは??」
なーんてコロコロ変わってくる部分もあったりして
頭の中がそれこそ収拾がつかなくなってかなりの疲労感が伴うのですよね。
ではでは...「マルホランド・ドライブ」のおおまかな解釈を引き続き散らしてみます。
ネタバレを含みますのでご注意下さいませ。



【クラブ・シレンシオ
いきなり“silencio”ってスペイン語できましたが。
クラブ・シレンシオの場面は解釈が難解であり、この不可思議な空間こそさまざまな捉え方が出来る部分です。

リタが真夜中に突然
「Slencio,silencio…No hay banda,No hay orquesta...」
と寝言で謎の言葉を繰り返します。
「一緒に来て」というリタに導かれやってきたのが件のクラブ・シレンシオです。
とても不思議で恐い空気が漂う異空間です。
リンチお得意の赤いカーテン、ブルーの扉、ブルーのライト、白い煙...などなど重要なディテールがちりばめられた会場でベティとリタが席につくかつかないうちに恐ろしい形相の男がおおげさな身振りで口上をはじめます。
「No hay banda,No hay orquesta…」(楽団はいません、オーケストラもいません
それはリタが寝言で言っていた言葉そのものでした。
「音はしますがすべて録音されたものです….これらはすべてまやかしです」
男が話す後ろには青い髪の女性の姿が見えます。
会場にぽつりぽつりと見られる観客は無表情。
観客と青い髪の女性は死者のようにも見えます。
口上を続けながら男が大きく手を振り上げると、雷鳴と蒼く光が会場を包みベティが痙攣し始めます。
まるでベティに「死」を宣告しているようです、この後この人達が待つ「死」の世界に向かうことを示唆しているのでしょう。

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ベティの痙攣は、実生活で犯した人を殺めてしまった罪悪感と何者かに追われている恐怖心の表れです。
白い煙とともに男の消えた後に現れるのは「ロサンゼルスの泣き女」と紹介される歌手。
彼女の素晴らしい歌声、そして注目すべきはまるでベティの気持ちをそのまま歌にしたような歌詞です。
ベティとリタは寄り添いながら、その歌に涙します。
見る側も最初はこの歌詞と寄り添ってすすり泣く二人に誘われるように涙が出そうになるでしょう...
でも、しばらく断つと「泣き女」は倒れてしまいその場から運び出されますがそれでも哀しい歌は流れ続けています。
この歌も「まやかし」なのです。
ダイアン(ベティ)が自己憐憫を連ねて、まるで自分の罪をなかったことにしようと周囲に「許しを乞う」まやかしの歌です。
「ロサンゼルスの泣き女」とはダイアンのこととも言えるでしょう。
クラブ・シレンシオは、ダイアン(ベティ)を見張るカウボーイが準備した「死への入口」であり、「夢の出口」でもある場所なのだと私は解釈しました。
ハリウッドで成功する夢も失い、自分のエゴで1人の女性を死に追いやってしまった...カウボーイはダイアンには「死」を与えるしかないとこの場所で審判を下したのだろうという見方ができます。

【青い箱と青い鍵
クラブ・シレンシオで泣き女の歌が終わる頃に、ベティは自分のバッグの中にある青い箱を取り出します。
帰宅後、ベッドの上に青い箱を残しベティの姿は消えてしまいます。不安そうなリタが「ベティ!」と声をかけてもベティは二度と現れませんでした。
自分なりに未だに心に引っかかることは、この場面で今までひと言もスペイン語など話さなかった(寝言で喋った以外は)リタがなぜ「¿Dónde estás?(どこにいったの?)」とスペイン語をポツリと話したのかな?ということです。
誰か、これについて見解があれば教えてほしいです、ほんと細かいですが気になっています。
バッグから青い鍵を取り出し、箱を開けたそのとたん箱が絨毯の上に落ち、リタまでもが消えてしまいます。
続くシーンでは、ルースおばさんが扉を開け様子をうかがいますがシーンと静まり返った部屋の中は箱は消えていて、ベティやリタがそこにいた形跡もありません。
夢が終わったということです。
開けても空っぽな青い箱は一体何を意味するのか...それはダイアンがロスにやって来た頃の「女優になる夢」の具現なのだと思います。
青い鍵は夢を叶える為に使うものであったのに、実際は「殺人成功の示唆」に使われてしまったのです。
時々出てくる老夫婦も青い箱と同じ意味合いを持っています。
夢の中では愛想笑いを浮かべつつ、ベティと別れた後にはいやらしい笑いを受けべるあの老人たちは青い箱から小人になって出てきました。
表向きは愛想良くちやほやしてくれるような人たちから遠ざかってしまった、すなわち彼女の女優になる夢が消えてなくなったことを意味しています。
また、ラスト部分でノックする音(刑事がやってきたと思われる)とともに、この老夫婦達が笑いながら不気味にダイアンに迫ってきます。
彼女の夢が崩れ去り、恐怖感、絶望感しか残っていないことがこの幻覚を見せているのでしょう。
耐えきれず、彼女は自らの手で決断を下します。実際は彼女を裁く人物がやらせているのでしょう….

【ルースおばさんは何者か
ベティが夢の中で部屋を借りる事になる「ルースおばさん」は実際のところどういう人物なのでしょう。
夢の中では往年のハリウッド女優(?)でベティが女優への道を進むうえで、さまざまなコネを提供してくれる人物。
実生活でダイアンは、亡くなった叔母の遺産を譲り受けたと言っています。(ルースおばさんの名前は出てきません)
ダイアンに遺産をのこした叔母と夢の中に出てくるルースおばさんは別な人だと考えられます。
夢の中に出てくるルースおばさんの姿は、実生活の中でたまたま見かけた知らないおばさんなのかもしれませし、亡くなったおばさんかもしれません。
ただ、ダイアンがオーディションなどで成功しなかったことから考えても夢の中のように映画界で顔がきく人物ではなかったようです。
余談になりますが、夢の最初の方でよそ者である女(リタ)がルースおばさんの屋敷に忍び込む姿を見かけてもおばさんは顔色一つ変えず平然としています。
(夢の中であることを意味する)

以上


それと「マルホランド・ドライブ」に登場するクラブ・シレンシオは、それをイメージしたお店がパリに実際に作られたそうです。
会員制のクラブだとか…

デビッド・リンチの会員制クラブ、仏パリで今週オープン

今でもあるのでしょうか??



2013/09/09

マルホランド・ドライブ

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映画って人それぞれの解釈や見方があり、正解はないのです。
その中でもデビッド・リンチほど、様々な解釈の仕方を提供してくれる監督さんはいないのではないでしょうか。
リンチさんの多くの作品は、ハッキリとしない「寝て起きた後のような」ぼんやり感が漂っています。
観た後で
「あれは何だったんだ?夢だったの、それとも現実?」
という残尿感っぽさが残り、ついついもう一回...と観てしまうのです。
薄気味悪い作り笑いを浮かべていたり、急に馬鹿笑いしたり、逆に怒りだしたりとにかく不可思議なキャラクターが登場します。
ゾッとしつつ、これから何かが起こる伏線なのかなというワクワク感すら抱かせます。
それぞれの作品への解釈や謎解きもリンチ作品を鑑賞する醍醐味だと思います。
中でも、「マルホランド・ドライブ」は彼の作品の中でも夢見心地感(!?)や不可思議・不気味感だけにとどまらず哀しさが漂う素晴らしい作品で私は大好きです、おそらく彼の作品の中で一番好きです、時間内に凝縮されてる面での完成度はリンチ作品の中の最高傑作だと言い切れます。

先週再び深みにハマり改めて見直した感想などを書き連ねている訳ですが、初めて観たのが公開からしばらくしてからDVDで観たのでかなり昔になるんですね。
やはり1度の鑑賞では釈然としませんでした。
いわずもがなです、彼の作品はリピートが肝心。
見る度に細部のチェックを怠ってはいけません。
結局、2度目で自分なりの解釈を見つけ、3度、4度...「何回観たかな、私...」てなるワケです。

さて内容に話は戻り
マルホランド・ドライブではナオミ・ワッツとローラ・ハリングはそれぞれ二役を演じております。
どちらも難しい役どころといえます。
特に主演のナオミ・ワッツがとにかく素晴らしい、パーフェクト!
準主役的なローラ・ハリングの容姿の素晴らしさ、妖艶さ、演技も賞賛すべきですが、ナオミ・ワッツの演技がそれを上回っている気がします。

あらすじ
ある晩、暗闇の中黒髪の美女(ローラ・ハリング)が乗った1台の車が後ろから凄いスピードでコーナーを下ってくる若者たちの車に追突される。
その場所はマルホランド・ドライブ。
生き残った美女はふらふらと歩き始め、事故現場を離れてある家の一室に身を潜める。
その家の家主である大女優の姪であるベティ(ナオミ・ワッツ)は、みずからも女優をめざしてこの家に暮らす事になっていた。
あこがれのロスでの生活にうきうきしていたベティは部屋の中で怯える黒髪の女性を見つける。
女性の名はリタ。(壁にかかっていたリタ・ヘイワースのポスターを見てとっさに出た名前)
リタは激しい事故の後遺症で記憶を失っていたのだ。
一方、事故現場を検証していた刑事は落ちていたパールのイヤリングから、もう1人重要な人物がこの場に居たことをつきとめ捜索し始める。
時々何かを思い出しそうになるリタをベティは囲まい、記憶を辿る手助けをする。
そんなある日、リタのバッグの中から大金と青い鍵を発見する。
リタの記憶を辿るうち、驚くべき事実が判明して行く。


作品データ
原題:Mulholland Drive
公開:2001年 アメリカ
出演:ナオミ・ワッツ、ローラ・エレナ・ハリング、ジャスティン・セロー、アン・ミラー
監督・脚本:デビッド・リンチ


自分的解釈(以下かなりネタバレあり!まだ見ていない方はご注意ください...というか既に見た立場から書いているので未鑑賞の方は全く分からないと思われます)


【作品の大部分はダイアンの夢…
この物語は前半….というか大半(クラブ・シレンシオから帰宅し、直後ベティが消えてしまうところまで)は、ベティ(ベティは夢の中での名前であり、実際はダイアン)の夢です。
謎のカウボーイに起される赤いシーツの上に横たわるダイアン(冒頭でも登場、赤いシーツのようなものにくるまって寝息をたてている)は、夢の中での希望に満ちたベティとは大違いで疲れ切ってろくに食べ物も食べていない雰囲気です。
現実世界ではカミーラ(夢の中でのリタ)が名の知れた女優でダイアンはカミーラの恋人、カミーラのお陰で端役を貰う恩恵も受けています。
ダイアンの想いは裏切られ、カミーラは地位を手に入れるため監督のアダム・ケシャーと婚約します。
誰もが大女優になること目標としている世界において名の知れた監督に気に入られることは成功の第一歩。
カミーラはそれを勝ち得る事に成功し、逆にダイアンはそれを境に愛するひと(カミーラ)に見捨てられてしまいます。周りからは嘲笑の眼差しで見られるしで夢は一変、転落の人生に変わります。
カミーラへの想いは憎しみと妬みに変わっていきます。
感情を抑えきれなくなったダイアンはついにある男に、カミーラを殺害することを依頼してし
まうのです。

diane.jpg

作品の謎解きするのも今さら、アレですが自分なりに思いついたことを書き並べてみます。
(話があちこちにとんだりしているのはご勘弁下さい)

都合のいい夢…まさにダイアンの独り舞台!
常日頃見る夢がどんなもので構成されているか、この映画を見た後自分なりに少し考えたりしました。
大切な人や愛する人が出てくる夢が大半かもしれませんし、その日初めてであった人で特に印象に残った人物やキーワードのような耳に残った言葉が出てくる事もあります。
心の中に蟠る「やましさ」や「妬み」が起因して見る夢もあります、悪夢と呼ばれる類いです。
ダイアン(夢の中ではベティ)の見た夢は現実の悲しみや苦しみから逃避したい気持ちが無意識に作り出した産物です。
夢の中のダイアン(ベティ)とカミーラ(リタ)の立場は現実と逆転していて、リタはベティに頼らなければ何もできません。
記憶喪失、調べて行くうちにマルホランド・ドライブでの事故に関係しているらしいことに怯えビクビクしながらベティの指示に従っています。
また、周囲の登場人物たちはみんなベティにちやほやし、その褒めちぎりかたときたら不自然で気持ち悪いほどです。
オーディションでのベティの演技も見る者を驚かすほどの賞賛を浴びますが、現実にはオーディションは通らずカミーラ(リタ)が主役に選ばれたのです。
ダイアン(ベティ)はカミーラのようになりたいと望み、自分を捨てて監督のアダム(ジャスティン・セロー)と婚約した彼女を妬みはじめさらにアダムを憎んでいました。
夢の中は、面白いようにすべてがベティの想い通りに動きます。
リタは、ベティのように髪を切りブロンドに染め彼女を真似るようなことさえします。
オーディションのシーンやアダム・ケシャーが登場する場面などは、ほとんどがダイアンが一方的に抱く芸能界(ハリウッドの映画界)のイメージそのもので、彼女の情報も少ないためか稚拙で安っぽくてなんだかゾッとする世界です。
そんな都合のいい夢の中に、時々脈絡がないと思われる謎のシーンが登場します。
少々間抜けな殺し屋の珍騒動。そして自分が見た恐い夢を語るウィンキーズでのダンのシーンです。
夢の中の間抜けな殺し屋の話は、現実でカミーラ殺害を依頼した男であり、お金まで渡して依頼しながら後悔の念に駆られ「失敗してほしい」と願うダイアンの正直な気持ちです。
ウィンキーズの男2人の片方、少し奇妙なほどに怯えたカンジのダンはカミーラ殺害を依頼した時に偶然その場に居合わせダイアンと目が合った男だと思われます。
例えば自分が何か後ろめたい事をした瞬間に、誰かと目が合ったとしたらどうでしょう。
「あの人、こっち見てる。私がおかしなことを考えてるって思ってるんじゃないかな」
なんておかしな妄想が働いてしまうことってないでしょうか。
さらにウィンキーズのお店の裏でダンは気味の悪い黒いオバケのような人を見て倒れてしまいます。
映画の中に何度か登場するこの気味の悪い生き物の正体は、ダイアンのやましい気持ちであり無意識の中の負の感情 ---シャドウの部分--- と解釈できます。
また、キーワードのようにいろいろな人物の口から出る言葉 “This is the girl” は、他でもないダイアンの口から出た言葉で、カミーラの命を奪い自らの人生を狂わせることになる重要な一言です。
自分の罪をなかったことにしようと、他者にそのセリフを言わせ逃げようとしています。

カウボーイの正体

 Mulho1.jpg

この映画を見た人はおおよそ気づいているのではないでしょうか。
時々、現れるカウボーイ姿の男の正体です。
カウボーイは作品中で、三回登場しています。
まず最初の登場はダイアンの見る夢の中で、監督アダムの人生が唐突な展開で転落していきますが、秘書と電話でやりとりしている途中で「カウボーイ」と名乗る男がアダムに会いたがっていると知り、彼は早速会いに向かいます。
向かったところは夜のとある牧場。
「人の態度は...ある程度その人間の人生を左右する、そう思わないか?….馬車の手綱を握るのは私1人だ。君が態度を改めるなら馬車に乗せてやる」
と謎の言葉を残します。
二回目は、現実に戻ったダイアンがアダムとカミーラの婚約パーティで新しい女友達(彼女?)とカミーラがキスした直後、女の子が消えると同時に入れ替わるように登場します。カミーラに裏切られ怒りに打ち震えるダイアンの目の前をさりげなくカウボーイが横切って行きます。
三度目の登場は赤いシーツに横たわる女性(ダイアン)の傍らで「お嬢ちゃん、そろそろ起きる頃だ」と言っています。
一回目のセリフでなんとなく察しがつくかと思いますが、カウボーイはダイアンに審判を下す ”何ものか” なのです。
死神、悪魔、ダイアンの運命を天からじっと見張るもの、そういった類いです。
このカウボーイは、ダイアンを見張りながら彼女が悔い改めやり直す気持ちがあればなんとか助けようと提案します。
それが夜の牧場でアダムに言った言葉です。アダムに言っているのではなくダイアンに向かって言っていたのです。

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はっ....!
ここで気がつけば、超長ーいブログになっていました^^;
一旦切ってPart2につなげる事にします。。。
(クラブ・シレンシオと青い鍵と箱のお話など...今夜up予定)

余談ですが、
映画.comの「映画史上最高の女性キャラクター100人」にベティが33位で結構上位に入っていますね。