My Cinema Talk World: 「自分史」を書きたい人たち

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2012/06/22

「自分史」を書きたい人たち

20120622

日記をかなりサボっていた。
久しぶりに名刺のデザインを頼まれ、数日かけてロゴ作りから全体のデザインをフォトショップで何通りか作ってみた。
一日、4時間ほどMacの前でああでもない、こうでもない、フォントが相応しくない…だの試行錯誤し、ようやく一段落。
PCに二時間通して座りっぱなしだと変に肩に力が入る上、眼性疲労でかなり疲れる。
そして
近いうちに久しぶりにフルタイムの仕事が始まるので、こちらも慣れるまで大変だろう…しかも1日PCに座りっぱなしだ。
今まで、空いた時に気ままにヨガやピラティスしたり、DVDを見ていた自由時間が少なくなる。。。
とはいえ、土、日ではないにしろ週2日休めるので、十分かな^^
さて、ここ数日DVD何本かと本も1冊読み終えたので感動もupしよう。
DVDと云えば、先日ツィッターで「泣く映画を教えてください」と訊かれ、思いつくまま挙げてみたのだが、改めて数えてみるともっといっぱいあったような….しかももっともっと泣いた作品、自分の中ではとても重要な作品が抜け落ちてるような気がしてなんとも釈然としない。
映画の話題をしたフォロワーさんにも、泣く映画を訊いてみた。
とても通な方で、私がまだ見ていない作品がたくさんあった。
近いうち、レンタル店で探してみようと思った。

話は全く変わって、昨日おもに古い本が置いてある書棚の整理をしたのだが、その際思いがけず1冊の本を見つけた。
ずいぶん前、まだ20代の頃だ。
或る場所で知り合い、懇意にさせていだだいた当時70歳くらいの女性が自費出版された本だった。
調べてみると、AMAZONのサイトにも掲載されていた…
残念ながら在庫がないと記載されていたのだが。
その頃、私は妹と一緒に小説を書いたり他の方達が書いた作品を批評し合ったりするカルチャースクールに通っていた。
教室で気の合うメンバー5人だけで集うようになり、その中の一人が件の本の執筆者である。
カルチャースクールは、30人か40人弱はいたかもしれない。
ほとんどが55~60歳以上の仕事を引退された方…女性が多かったように記憶している。
完成した作品を講師に提出し、その中でも出来のよい作品を全員に配って自宅で読んできてもらい、次回の教室で感想を述べ合うのだ。
そのほとんどが、自分のこれまでの人生を振り返っての苦労話といった内容ばかりだった。
そのどれもが、別な作者が書いているとは思えなかった。
所謂「自分史」とも呼べるだろう。
そのレベル、内容から「小説」と呼べる作品とはほど遠いものだった。
ほとんどの人たちは、パーソナルな部分を共有し、共感してもらうことで安息しているように見えた。
いいかえれば、そのカルチャースクールはアナログなSNSみたいなものだろう。
自分がどれだけ「苦労してきたか、頑張っているか」を文章という高尚な付加価値をプラスし伝える、さらにはコメントをもらうことで喜びを得る事が出来たのだろう。
普段、近所の人たちとの”茶呑み話”では物足りない部分をこうした形で昇華していたのかもしれない。
尤も、その時代は「自分史」を書いて自費出版することが流行っていた時だった。
”私も、やがて「自分史」を出版したくなるのかな”
その頃、漠然と思い、もやもやを孕んだ不可思議な心境になった。

さて、前述した頂いた自費出版の本に話はもどるが、
著者のWさんの作品は、8話の短編から成る小説に仕上がっていた。
文章表現一つにしても洗練されていて、ストーリーもしっかり組み立てててあり、年代を感じさせないクールな作品だった。
小説と「自分史」の違いを敢て説明することはしないが、とにかく「自分史」を書きたい人ではなかったのだ。
当時、Wさんを含めカルチャークラブから離れて集まったメンバー5人は、小説と呼べる作品を書くことを目標にしていた。
Wさんは、自費出版で希望を叶えた。
40代の「青年のような」Sさんは、文芸誌「海○」新人賞に作品を応募、最終選考16作品まで残った。
妹は、県文学賞で準賞だったか佳作だったか、兎に角そのどちらかに選出された。
その直後受賞をきっかけに地方紙のコラム欄執筆の依頼を受け、半年ほど掲載される運びになった。
K町の主婦であり公務員のMさんと私は、真っ白いコピー用紙に印刷され丁寧にホッチキス止めされた、他のメンバーの作品を読んで感想を述べる役目にとどまったのだった。
古びた茶封筒に入った当時の作品やWさんの本を読みながら、予定外の膨大な時間を費やしつつ無事に本棚の整理は終わった。

あの頃のメンバーは、今はどうしているだろうか。