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2014/10/29
『アデル、ブルーは熱い色』 ー アデルの圧倒的存在感に酔いしれる3時間
2013年 第66回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門でプレミア上映され、最高賞であるパルム・ドールを獲得、史上初めて監督のほかに出演女優の2人(アデル・エグザルホプロス、レア・セドゥ)にもパルム・ドールが贈られました。
劇場で見られずにDVD発売まで待つ計画でしたが英語字幕版DVDで見てみるか…って急に計画を変更してしまいました。
179minuites、約3時間なのですね~、この映画。DVDのパッケージ見て初めて気がつきました。
3時間。長尺ですから心して見ねばと意気込んでいましたが、そんなに長い気がしなかった…
キャスト
アデル・エグザルホプロス - アデル
レア・セドゥ - エマ
ジェレミー・ラウールト - トマ
カトリーヌ・サレ - アデルの母
オーレリアン・ルコワン - アデルの父
サンドール・ファンテック - ヴァランタン
スタッフ・作品情報
監督 アブデラティフ・ケシシュ
脚本 アブデラティフ・ケシシュ ガリア・ラクロワ
原作 ジュリー・マロ『ブルーは熱い色(フランス語版)』
製作 アブデラティフ・ケシシュ ヴァンサン・マラヴァル ブラヒム・シウア
撮影 ソファニ・エル・ファニ
編集 カミーユ・トゥブキス アルベルティーヌ・ラステラ
製作会社 ワイルド・バンチ カス・フィルム
フランス公開日 2013年5月23日(CIFF) 2013年10月9日
日本公開日 2013年10月25日(TIFF)2014年4月5日
製作国 フランス
原題 La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2
公式サイト http://adele-blue.com/
( http://832honey.tumblr.com/ )
まずこれは言いたい!
この映画の一番の奇跡といえるのはここまで役柄そのものの女優さんをキャスティングできたことでしょう。「ベティ・ブルー」以来だと思います、役じゃなくてまるでアデルのドキュメンタリー映画と言っても過言ではないくらいです。ベティを演じたベアトリス・ダルのように役に縛られ続ける人生にならないことを祈るばかりです。
さて、本作のアデルですが当初は高校生の設定です。形容するとしたら「自然児」とか「天然素材」という言葉が浮かぶ、そんな女の子。
ノーメイク(映画なので撮影用のメイクはしているにしても)で髪も梳かしっぱなしで無造作にアップにし、服装は茶系のパンツとかベージュのジャケットを着てファッションには気を使ってなくてボーイッシュ。その割に肉感的、体格がよくてお尻が大きい。そしてとにかく美しく可愛らしい。造られた美じゃなくて天然の美しさが弾けんばかり。
彼女は自分を飾ることを一切しない、というか知らない。「男の子の前だから可愛く見せよう」なんて気持ちは全くない。日々を生きることだけにエネルギーを費やしている、無垢な人間です。
「食べて、祈って、恋をして」って映画があったけれど、彼女の場合は「食べて、眠って、恋をして」ってカンジでどれも自然の欲求をまっとうしてる、一生懸命だからこそ生きることを貪っているようにも見えるのです。
寝るときは口をあけてヨダレを垂らさんばかりのうつぶせ寝。家での食事のシーンのたびに食べているのはボロネーゼ(ミートソース?)で、その食べ方もかなり野性的!
日本では子供が口をあけながらクチャクチャ音をたべて食べると「行儀が悪い」と注意されるけれど、彼女はまさにその食べ方。しかも手にしているナイフについたソースをべろべろ舐めちゃう大胆さ。なんといっても口が特徴的…前歯が大きく上唇はかわいくめくれているから、ほとんどのシーンは口が半開き状態に見えます。
そして彼女、泣き虫でよく泣くのです。女の子が可愛く見せるための半分演技入ってる泣き方じゃなく、手の甲で平気で洟をぬぐうような男の子っぽい豪快さ。
周りの男の子もそんな無垢なアデルを放っておけなくて何かと気にかけてきます。
そんな魅力的な弾けんばかりの女の子アデルをほとんどアップでカメラが追い続けています。
カッコいい男の子に気に入られデートしてエッチするも彼女はなんだか「ん?」って感が否めない。そんなある日、街で青い髪をショートカットにした不思議な女性エマと出会います。
彼女が忘れられないアデル...そうこうしてるうちに彼女と再び出会い、デートし女性同士のエッチ。アデルはその最中に泣きます、それほど彼女は心の底から揺さぶられたのでしょう。
アデルは教師をめざしてフランス文学を学ぶ高校生、青い髪の女性エマはアートを学ぶ美大生。お互い自宅に招き家族に紹介する2人…そこには確実に階級の違いが見ることができます。
やがてある行き違いから、離れてしまうエマとアデル。お互いに心底愛し合っていることを承知しているのになぜ別れなければならないのか?
映画の中のショット、シーンごとにアデルが発する自然のオーラを映し出すとともに彼女の内面に入り込み、共に空気感を感じることができる。実に観る人を捉えて離さないのだ。3時間の間に高校生から大人に成長する過程が目に見えて分かるのがスゴいです。
各シーンはかならずどこかにブルーが配されている。それはアデルの太陽のような普遍な存在感を際立たせる差し色のような効果を作っている。エマのブルーの髪もその効果を担っています。
心の底から愛し合っているのになぜ別れなければならないのか?開始から1時間くらいの場面で2人がベンチに座りながらサルトルの実存主義について語る場面がアデルの生き方…というか、エマとアデルの生き方の違いがよく理解できるものであり、エンディングへのキーになっています。
ハリウッド映画とは別格の傑作でした。
映画はシーンありきです。
例えば何年後かにその映画を思い出そうとして、ストーリーや配役の名前やタイトルさえ忘れてしまったとしても強烈なシーンとその時覚えた感動だけは頭に焼き付いているものだから...。久々に名作を見たーって気がしました。