My Cinema Talk World: Sweet Sixteen(2002) − 悲惨ではない、けれど心が苦しくなる

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2015/11/12

Sweet Sixteen(2002) − 悲惨ではない、けれど心が苦しくなる



ストーリー
15歳の少年リアムは、親友ピンボールと学校にも行かず好き勝手な毎日を送っていた。そんなリアムには夢があった。それは一つ屋根の下で家族揃って幸せに暮らすこと。しかし、現在母ジーンはヤクの売人である恋人スタンのせいで服役中で、出所はリアムの16歳の誕生日前日。シングルマザーの姉シャンテルは母を嫌い、離れて生活していた。そんなある日、湖畔で理想的なコテージを目にしたリアムは、自分の夢を実現させようとその家の購入を決意する。カネのないリアムは、仕方なくピンボールとともにスタンからヤクを盗んで、それを売り捌くのだったが…。
allcinema より)

キャスト
マーティン・コムストン:リアム
ウィリアム・ルアン:ピンボール
ゲイリー・マコーマック:スタン
ミッシェル・クルター:ジーン
アンマリー・フルトン:シャンテル
ミッシェル・アバークロンビー:スーザン

スタッフ・映画情報
監督:    ケン・ローチ
脚本:    ポール・ラヴァーティ
製作:    レベッカ・オブライエン
音楽:    ジョージ・フェントン
撮影:    バリー・アクロイド
編集:    ジョナサン・モリス
配給: シネカノン(日本)
公開: 2002年5月21日(フランス CIFF)
    2002年10月4日(イギリス)
    2002年12月28日(日本)
製作国:イギリス ドイツ スペイン
原題:Sweet Sixteen

バカ親と利発な息子

親のこころ子しらずとよくいいます。
この映画の親子は、まったく逆。
愛人とつるんでドラッグを売ったりしては捕まっている愚かな母 ジーンを必死に愛する息子 リアム。
同じ間違いを繰り返しながら生きている母親に、やがて姉 シャンテルは愛想を尽かし離れて行く。
それでも、リアムは母親を見捨てない。
「かあさんは、人間的に弱いだけだ」と冷たく見放す姉から母親をかばい続ける。
母が出所する日を心待ちにしている…その日はリアムの誕生日の前日。
本作に出てくる母親は、本当に愚か者でバカとしかいいようがない。
バカ親のために、悪に手を染めて行く息子が可哀想であるし、気高くさえある。



心がヒリヒリ…

無邪気で子どもっぽい部分も残す、家族を再生するために知恵と無謀すぎる勇気をもって生きているリアム。
母親の愛人と実の祖父に虐待ともいえる仕打ちを受けても、負けずにやり返す。
まだ、15歳の少年に重すぎる荷物を背負わせたのは母親だ。
映画のDVDジャケットに
“心がヒリヒリしている”
と書いてある。
まさに、その通り。
映画をみながら、こちらまで心がヒリヒリしてしまった…というか、しつこいが親のバカさ加減にイライラしてしまう。

類のないカメラワーク

映像がいい!カメラワークの恩恵
街が、海の色が寒々としている。
あちこち逆光で白潰れしているけれど、そんな瑣末なことなんか構うものか…というか却って私は惹かれました。映像から必死さや生きていくことの苦しさが溢れている。
フィルムで撮ってるのがわかるね、どうでもいいことかも知れないけれど。

ラストシーンが素晴らしい。
見る側にその先を委ねる終わり方…
干潟を歩くリアム。母親の呪縛から解き放たれたその表情を見て、彼の将来が見えてくる。
ケン・ローチ、さすがだ!
どう想像するか?私は、ここではいわないでおくことにします。


今の日本の貧困や親子像も見えてくる

その日の暮らしもままならないような労働者階級の子どもたち。
我が子より愛人しか見えなくなっている母親と親を助けようとする息子…この構図は最近の日本を見ているような気がしてならない。
日本も本作にみる貧困、格差社会に近づいているのではないだろうか。

本作の母親は見ていて嘆かわしい感情しかわかないし、同情の余地なし。
子どものやさしさに甘え、ついにはその気持ちを踏みにじる。
愛する母親に裏切られた日は、リアムの16歳の誕生日。
利発でがむしゃらで類いまれな勇気と信念を持つリアムだから、世の中を生き延びることができている。
本作を見終えた時、今現在の日本で時々目にする子どもが親の犠牲になるニュースを想わずにいられないだろう。
大人が身につまされる映画。悲惨だけれど決して絶望的に暗くは描いていない...傑作だと思う。



“土星の一日は10時間しかないんだ”
というセリフが妙に余韻を残す。


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